Daily Quotes:プロローグ

chanel

TEXT BY MY

 『老子』という本がある。

大昔の中国の哲学者、老子さんのありがたい教えをのちに弟子たちが書き留めた読み物である。古い名著なだけに、敷居が高いと思っている人も多いかもしれないが、『老子』はいわば格言集だ。しかも格言は全部で81個しかない。

難しい言葉はほとんどなく、それゆえに奥行きがあり、読み返すたびに印象が変わる。私はこの本をかなり気に入っていて、気が向くとパラパラとページを繰っている。

寺田寅彦の随筆のひとつに、老子が登場する。中学のとき、少し風変わりな先生が孔子老子の違いをこう説明したそうだ。

「先生は教場の黒板へ粗末な富士山の絵を描いて、その麓に一匹の亀を這はわせ、そうして富士の頂上の少し下の方に一羽の鶴をかきそえた。それから、富士の頂近く水平に一線を劃しておいて、さてこういう説明をしたそうである。『孔子の教えではここにこういう天井がある。それで麓の亀もよちよち登って行けばいつかは鶴と同じ高さまで登れる。しかしこの天井を取払うと鶴はたちまち冲天ちゅうてんに舞上がる。すると亀はもうとても追付く望みはないとばかりやけくそになって、呑めや唄えで下界のどん底に止まる。その天井を取払ったのが老子の教えである』」

これを受けて、寺田寅彦はこう考える。

「何のことだかちっとも分からない。しかし、この分からない話を聞いたとき、何となく孔子の教えよりは老子の教えの方が段ちがいに上等で本当のものではないかという疑いを起したのは事実であった。富士山の上に天井があるのは嘘だろうと思ったのであった」

そうである。現実の世界には強者と弱者を、あるいは持つ者と持たない者を分ける天井など存在しない。強い者は圧倒的に強く、弱い物はただ弱い。持たない者が何かを盲信して根性で地道に努力しても、それは盲信の域を出ないことがほとんどではないだろうか。

人は良くも悪くも違う。時に圧倒的に違う。案外、そのことにほんとうに気づいている人は少ないように思う。人がみな同じ条件のもとで生きることを公平と呼ぶならば、世の中は圧倒的に不公平だ。

しかし、それゆえに自分を生きることは味わい深い。良くも悪くも自分だけが噛みしめる唯一無二の味わいだ。あまりに味わい深いために、私はついそれを言葉にして漏らしてしまう。いや、言葉の方から勝手に溢れ出てきてしまう。しかも会社での仕事中に。
それを、隣の上司が手帳に書き留めてくれた。まるで老子のありがたい言葉を書き留めた弟子のように。

これを現代の『老子』とまでは言わない。それは厚かましい。がしかし、かなりそれに近いものになったのではないかと自分では思う。