アナ・ウインター 小話 その2 東京でみた「アナ様」

VOGUE 御用達のブロガーや編集者はこんなこと書かないだろうけど、まったく関係ないから書いてしまおう。

2011年の11月に Fashon's Night Out Tokyo に参加する為に、60歳を過ぎて来日したアナ・ウインター(Anna Wintour)。イベント当日はもちろんのこと、新宿の伊勢丹を巡ったり、グランドハイアットで 各国のVOGUE編集長とフォトセッションをしたり、アメリカ大使館のイベントに出席したりと大忙しだったみたい。だけど、何と言っても表参道で行われたオープニングイベントこそが最高のものでした。そこで初めてアメリカ版ヴォーグ編集長」を体験することが出来たのだから。

オープニングセレモニーは大体時間通りに開始。富永愛とか土屋アンナとかモデルのTAOが司会で出て来て「いや~すごいですね~」(そりゃ知っとるよ)みたいな会話から始まりました。特に会話の中身はないけれど時間を稼いで、いよいよイベントが始まったんですよって実感をお客さんたちにきちんと伝えると、クリス・ぺプラーの力を借りてゲストたちの紹介へ。

もちろん、最初はコン・デ・ナストのジョナサン・ニューハウスの紹介。彼がステージに上がり、何人目だったか忘れたけど、程なくして我らがアメリカ版ヴォーグ編集長」が紹介されステージに上がりました。ステージまでの階段を昇る途中でちょっとこけたけど、そんなのアナ・ウインターには軽いもんでしょう。

そしてステージに上がったアメリカ版ヴォーグ編集長」はこの後の何十分かの間に、彼女こそがまさに「あの」アナ・ウインターであり、「アナ様」が実在することをを証明してくれました。

まず、アナ・ウインターに続き、各国のVOGUE編集長やデザイナーが次々と紹介されていくのですが、皆が音を立てて拍手をする中、「アナ様」はスピーチ原稿を持った手で音にならない拍手をたま~に、気が向いたときにだけします。基本的にはしません。

そして終始、隣にいる人と何か話しています。紹介されているのが誰であろうが「アナ様」には関係ありません。大人しく立って待っているなんてことはしません。

富永愛なんて、一生懸命愛想を振りまいていたのに、誰が紹介されようが「アナ様」はそんなこと全く気にかけません。

自由、ものすごく自由!!あまりにもフリー過ぎて、こっちがはらはらする位に。

さて、ゲストの紹介も一通り終了すると、今回の Fashon's Night Out Tokyo のオープニングに向けてスピーチが始まります。もちろん、これもジョナサン・ニューハウスから始まります。スピーチはもちろん英語で通訳のお姉さんが後に続いて日本語に訳してくれます。

そして、二人目のスピーカーこそが「アナ様」

さて、自分の出番かと思いきやジョナサン・ニューハウスの最後のメッセージを通訳のお姉さんが日本語で繰り返しているので、ちょいと苛立ってます(そう見えただけかもね)。自分のタイミングが掴めないのにちょっとストレスを感じてる感じ。

そしてスピーチへ。

スピーチの内容自体は良いものでしたが、やはりここでも彼女は常に「アナ様」でした。いくつかのセンテンスを言うたびに、日本語の通訳が入りその度に通訳のお姉さんを横目に見ながら「おいおい、早くしろよ」みたいな感じに。通訳のお姉さんは丁寧な日本語に訳してくれるんですが、おそらく「アナ様」よりも二速ほど話すペースのギアが遅くのんびりしててそれにストレスを感じているご様子。

みんなに理解してもらう仕事なので、通訳は遅いのがプロなんですけど。それにちょいと苛立つ「アナ様」。その様子を見ていてまさに思いました。

これぞ、みんなが待ち望んでいたアナ・ウインター(Anna Wintour)だ!!

これまで数々の逸話や、ゴシップ記事、映画「The September Issue」の中でしか観たことのなかったアメリカ版ヴォーグ編集長」は現実に実在することを証明してくれたのです。

(だって他のイベントじゃ、アナ・ウインターは餅つきとかやってるんだもん。そんなの別に面白くも何ともないよ。Dior のコレクションを途中退席するアナ様が観れる youtube 動画の方が魅力的)

イベント終了後にステージから階段を降りるときも、昇るときにこけたのを覚えていて、隣の男性の腕につかまっておしゃべりしながら降りて行きましたとさ。日本人て本当に礼儀正しいなあ、なんて。「アナ様」に比べたら富永愛土屋アンナもクリス・ぺプラーもみんな良い人たちだよ。お疲れさん。

やっぱりアナ・ウインター(Anna Wintour)最高!!

ちなみに、来日中の写真を見ると「アナ様」はシルバーがかったグレーと、赤系の色の組み合わせがお気に召したようで。イベントの時もシルバーがかったグレーのジャケットに赤みがかった、いつものアナ・ウインター・ネックレスをしていました。下の写真は伊勢丹を訪れた時のものです。このときのネックレスも赤だな。

どうか、彼女にはあと10年くらい今の美貌と手腕を持って頑張って欲しいなあ。そして次のアメリカ版ヴォーグ編集長はアナ・ウインターとは全く違うVOGUE を作って、新に歴史を作って欲しい。アナ・ウインターの遺産にすがるようでは、それはもう VOGUE じゃない。良く考えたら、アナ・ウインターって正式な教育の産物じゃないんだよね。世の中そんなもんよ。