マーク・ジェイコブス インタビュー on WSJ

Wall Street Journal でのマーク・ジェイコブスのインタビューです。インタビューは2012年のパリコレをやった後の時期に行われたものです。半分は2012年に行われるルイ・ヴィトンと彼のコラボの歴史の展示への宣伝ですけど。インタビューとは宣伝する際に行われるので、そこから何がしかを掬いあげてみるしか手は無いように思います。

オリジナルは、Tina Gaudoin という人の「Marc Jacobs: Intelligent Design」という記事です。見つけてみてね。
 
マーク・ジェイコブスにとっては、恐らく自然な選択肢ではなかっただろう。143年もの歴史を持つフランスの高級革製品ブランドの ready-to-wear(既製服)の責任者を、1997年に引き継いだのだ。ポニーテイルとちょっとした一派の評価を得ているニューヨーク・シティ出身の少年は、多くの成功とともに、すでにいくつかのビジネスの失敗も記録に残していた。成功というのは、二つのアメリカファッション協議会による賞、すなわち、1987年の最優秀新人賞と1992年のウィメンズデザイナー・オブ・ザ・イヤー(それから彼はこれまでに8つのCFDA「アメリカファッション協議会」の賞を受賞している、ジェフリービーン生涯功労賞は昨年(2011年)獲得している)のことである。彼のペリー・エリスでの婦人服デザインのディレクターでの仕事は、忌わしくもシアトルで起こった音楽ムーヴメントをもとにした1992年のコレクションとともに、彼に「グランジ クール」を作り上げた人物の称号を与えた。もし「グランジ」(粗末なもの)が、時代の先を行くデザイナーとしてジェイコブスの評価を固めたものであれば、グランジはまた、彼を首にしたものでもあった。

しかし、ジェイコブスは既にファッションの目利きたちによって「Cool Brand」の地位を確立されており、その立場を持ち直したのだった。1993年にはビジネスパートナーのロバート・ダフィーとともに、「Marc Jacobs International」を設立し、自身のコレクションを再スタートさせた。1997年にルイ・ヴィトンがジェイコブスをアーティスティック・ディレクターに就任することを発表したとき、それは、ジェイコブス自身のレーベルの株の大半をLVMHが獲得したということも立証されることになった。(ブルームバーグのサイトとかで Marc Jacobs International の情報を見ると分かります。CEO は Mr. Bertrand Stalla-Bourdillon というLVMH の人です)同じ年に彼は最初の Marc Jacobs 店舗を開店した(今では世界中に150以上の店舗を構えており、ディフージョン・ラインとアクセラリー・ラインも含まれている)。そしてルイ・ヴィトンでのコレクションは1998年に初めて発表された。

(ディフージョン・ラインはブランドの普及版。主には販売拡大のため、ブランドのアイデンティティ、感性、特徴をキープしつつ、低価格で商品を作るブランドをいう。セカンドラインなどとも表現されることもある。この場合は「Marc by Marc Jacobs」のこと)

ルイ・ヴィトンにおける Stephen Sprouse、Takashi Murakami、Richard Prince らのアーティストとのコラボレーションは、ブランドの小さな革製品ビジネスに活力を与え、人々に熱狂的バッグ購入の現象をつくりだした。ジェイコブスのますます風変わりになるコレクションと、思慮深く、挑発的なデザインはルイ・ヴィトンのショーをシーズン毎に必見に値するショーの一つにした。

最も新しいコレクションは2012年3月、ルーブルのある中庭で披露された。特別に作られた蒸気機関車、旅行者の装いをしたモデルたち、それぞれに白い手袋をしたポーターが荷物を運ぶ様が備えられていた。ジェイコブスは上等のワインのようだった(vintage wines という言い方をもじってvintage Jacobs と表現している)ーファッションへの先見性を持ったヴィジョンとヴィトンの現在の成功に対するジェイコブスの貢献とルイヴィトンの歴史を追ったパリでの新しい展示会の幕開けを結びつけたのだから。

(後で書いてありますが、ヴィトンは列車で旅をする金持ちを相手に鞄をつくることから始まりました。なので、ヴィトンの歴史を振り返る展示をする2012年のショウでは、列車を結びつけたのでしょう)
 
ルイ・ヴィトン1854年にヌーヴ・デ・キャプシーヌ通りに最初の店舗を開いた。自身の言葉で言えば彼(ルイ・ヴィトン)は「Specialty in the Packing of Fashions」(ファッションを詰め込む専門家)のキャッチフレーズを持った「パッケージャー」だった。1986年ルイの息子、ジョージ・ヴィトンが今や世界中にその存在を確立させた「LVのロゴ」と「モノグラム」を創りだした。パリ装飾芸術美術館の展示キュレーター(2012年9月16日までマークジェイコブスとルイヴィトンの展示が行われる。www.lesartsdecoratifs.fr)である Pamela Golbin はチャールズ・フレデリック・ワース、世界で初のクチュリエであり、新進のブルジョアジーに衣装を作る新しい方法を創りだし確立した人物、とマーク・ジェイコブスを比較しこう述べている。「二人ともイノベータよ。二人ともそれぞれの時代に根付き、産業全体を前進させたの」と彼女は言う。「二人の自分たちだけの言語を持つクリエーターは、現代ファッションの歴史を形づくるために文化的な慣例と流行を流用したの」

次にヴィトンのやり方と保険をかけられた成功についてお知らせしよう。寝間着からイヴニング・ガウンと銃撃キットまですべてを運搬するために10ものトランクを必要とするような、新しい顧客に鞄をつくるという方法。

フラットスーツケースの創始者として、トラベリングケースを持つ「new rich」彼らの多くが外国を旅行すること、彼らをリッチにするまさにその物ー鉄道だ、にお金を使う連中に供給するプロセスの発明者として認知された。ヴィトンのパリとロンドン店舗用の1892年からの最初のコマーシャルカタログ再現の一部が展示本の中に挿入されているが、これには彼が提供していた商品の幅と顧客需要の度合いが記されている。リストには、レザーカバーのトランク、婦人物トランク、紳士用トランク、スチーマートランク(蒸気船(スチーマー)に揺られて過ごす旅人の傍らにあるトランク)、インド用のトランク、折り畳み式寝台トランク(camp-bed trunks)、「Gladstone」バッグ、「Never Full」バッグ、紳士用衣装ケース、等々。カタログのあるページにはこのこのような文がある「ルイ・ヴィトンは顧客に注意してカタログを観るようにお願いしていた。そして、もし欲しいものが見つからなかった場合には要望を彼に伝えることで、特別製のものが無料で製造された」。

マーク・ジェイコブスは「パッケージャー」ではない。戦略よりも自分の直感でデザインをすると彼は言っているー彼はヴィトンではないが、事情に通じている。マーク・ジェイコブスルイ・ヴィトンでクリエイティブ面の舵を取り出してから、会社の中で最も金を生み出し、最も良く売れる商品たちの責任者となってきた。LVMHが所有するブランドはますます強大になっているし、売り上げは6億ユーロと見られている。 

クチュリエムッシュ・ワースと自分の関係について
は、展示キュレーターが書いたんだよ。僕は何も関係していない、もちろん、好みではあるけれどね。僕がやっていることと、彼がやったことには絶対的に似ている所があるからね。

過去について話すのは僕の仕事じゃない。未来を創りだすのが仕事だからね。ルイ・ヴィトンでの僕の信念は、設立されたブランドの美の基準と共存出来うるパラレルな世界を創りだすことだよ。

これはファッションで、ファッションとは変わるものすべてについてということだ。僕にとってはファッションとは旅のようなものかな。旅に出ていて、ブランドへの自由な解釈をしてもらうこと。お客さんは僕と旅に来ているようなものだと思っているよ。

クオリティ、職人技、ラグジュアリー、これらの3つの言葉は僕らのやることに対して、中心に置いているよ。僕はブランドの原則をready-to-wear(既製服)、ジュエリー、アクセサリー、その他やること全てに利用しているよ、事実ね。ルイ・ヴィトンにおける全てはクオリティなんだ。

最新のショウで列車をつくったとき、僕は(LVMHのCEO、ベルナール)アルノーにこう言った。「もし中国に何がしかで進出するなら、これをやるべきだ」とね。ミスター・アルノーは僕に中国のマーケットが重要なのかってことをとても良く意識させてくれてきたからね。2か月くらいの間、中国に行こうとしていることに興奮しているよ。

ミスター・アルノーは僕のやることにとても敬意を払ってくれていると感じている。僕が良い仕事をしている限り、彼はとてもハッピーだ。今は、こう注目されていることと、ブランドの成功について議論するのはちょっと難しいよ。僕の、何て言うべきかな「いささか不確かなコレクション」でさえ、彼は支持してくれてきているんだ。

自分のやることについては完全に自由だよ。そして、時間が経過すればするほどに、ミスター・アルノーの僕への信頼は大きくなっていると信じている。彼は極めて頭の良い人物だし、年月を経れば経る程に、僕らは親しくなっていっているよ。

以前にも言ったけど、ミスター・アルノーの為に働くことは、映画「ベイブ」の農場主の為に働くようなものだよ。つまりさ、彼は決して熱くなって跳んだり跳ねたりしない。彼が一番良く言うのは「That'll do pig.」(映画ベイブでのセリフ、「よくやった」という意味)と同じことを言ってくれるってことさ。でも、今は彼は僕を本当に褒めてくれる、それは凄いことだよ。(詳しくは「ベイブ」がどういう映画か観て下さい)

ビジネスパートナーのロバート・ダフィーがいなかったらやっていけないよ。僕らは長い間、一緒にやってきたしね。お互いを尊敬して支え合っている。ビジネスは僕の日々の活動の基本には置いていない。ロバートが側にいてくれるというのは、可能性にチャレンジして、気まぐれに反応する自由があるってことだ。上手くいくこともあれば、上手くいかないこともある。でも、僕らはいつもお互いに支え合っているよ。

デザインの中にある種の知性を織り込むことは、とても大切だ。僕は、倒錯と疑問の余地のあるスタイルに自然と惹かれる。でも、文字通りそれを好きかというと、そうではない。完璧じゃないアイデアとあれやこれややるのが好きなんだよ。

時々、自分のアプローチについて、とても古風だと思うことがあるよ。ファッションに関することであれば、話しをするのは好きだ。分かりきっていることは好きじゃないし、ドレスの在り方一つをとってみても、いつも驚くような要素があるべきだよ。

僕にとって、セクシーというのは細いウエストでもなく、ゆさゆさ揺れている胸でもない。ルイ・ヴィトンは自分のブランド「Marc Jacobs」より、それが分かりやすいものだと思う。でも「Marc Jacobs」がセックスとは関係ないって言うときには、僕の意味するところは、ファッションの考え方からであって、それは下品なものを元にしているんじゃないってことだよ。