ノエル・ギャラガー 武道館に来て今度はフジロックに来るの?

大体、3年前、リアム・ギャラガーはオアシスの単独ライブの終わりに「See you in Naeba!!」と言ってフジロックにオアシスが来るのをばらしてしまった。そして今年、同じことをノエルはミュージック・ステーションでやったみたい。。。

コカインを止める前の Be Here Now ツアー以来、二度目に武道館に訪れたノエル・ギャラガー。当時はまだ「Don't look back in anger」だって国家のように歌われることもなかったし、後の「史上最高のフロントマン」リアム・ギャラガーは英語の通じない国でインタビューに答えるのを禁止されていて、日本では「レズビアン」という言葉を置き土産にして旅立った。そんな時代以来の武道館。ノエルのブログから表現を拝借すれば、そこはリヴァプールから来たちょっと名の知れたバンドビートルズが演奏した場所。

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オアシスを脱退して、しばらく沈黙を保ち子供までつくっていたノエル・ギャラガーはソロ・アルバムを発表して、危なげなくUKチャート1位を獲得して、まるで予定通りのように数々のライブをこなしながら世界をツアーしている。個人的にノエルの曲はツボにハマってしまい(ただソロ・アルバムには Live Forever のようなA+の曲はないけれど)ライブに行ってしまう!!

そして、ノエル・ギャラガーを観に行った武道館でリアムの存在の大きさをマジマジと実感。何と言ってもリアムが居ないと、安心してライブを観れる!!(全席指定ってのもあるけどね)。

オアシスのライブには何度足を運んでも、本当にこいつら演奏するのかな?本当に今日ライブあんの?途中で終わったりしないの?という一種の緊張感が付き物だった。その緊張感が「神がかり的天才」によって書かれた曲と、「史上最高のフロントマン」の歌声によって爆発的なエネルギーとなって、言い知れぬ高揚感となって湧き上がってくるのがオアシスのライブだった。

そしてリアムのステージでの存在感と威圧感は空間を隅々まで支配してしまうようだった。武道館より広い代々木体育館も、幕張メッセも、苗場のグリーンステージにしれっと生えている木々だって「おいおい、リアム・ギャラガーが居やがるぜ」ということを分かっていた。

ロック・スターモードのスイッチが入ったリアムは圧倒的にその場の主役で、どれだけ多くの観客が居ようともリアムが主役だった。

アメリカ版 Vogue 編集長こと、プラダを着た悪魔こと、アナ・ウインターはスーパーモデルのシンディー・クロフォードを Vogue に載せないことに抗議され、その説明にこう言った

「彼女はモデル。わたしは、アナ・ウインターなのよ」

と。ある種の人々というのは、存在が説明を凌駕してしまう。「お前ら最高だ、俺はリアム・ギャラガーなんだ」と存在だけで語ってしまうのがリアムで、存在以外は本当にアホなのがリアム。

せっせとお気に入りの服をこしらえたり、マンチェスター・シティの優勝を祝ってみたり、スポンジ・ボブと写真を撮ってみたり、ストーン・ローゼスの追っかけをしてみても、リアムは微妙。

だってストーン・ローゼスの追っかけで満足するような器ならバンドなんかやらんしね。リアムの存在を受け止められるのは、ノエル・ギャラガーがある種のゾーンに入り瞬間的に生み出される曲のみ。だから喧嘩するんだろう。だって他の人じゃ相手にならない、というより、相手にしてくれないし、分からない。

エルヴィス・ブレスリーはライブ会場に入る前からファンたちは彼の存在に気づき熱狂したという。ツアーバスから降りて「さて会場に向かうかな」とポツポツと歩き始めて会場に近づいて行くだけでファンはその存在を感じて熱狂したらしい。リアムもそれに近いものがある。

「エルヴィスと俺がいる。そのどっちが優れているかって、俺は言えない」

はあながち間違いではない。

実を言えば武道館でノエルが歌ったオアシスの曲でリアムの名残りがあるのは「Supersonic」くらいだった。「Wanderwall」は演らなかったし(代わりに新曲と言って Freaky Teeth を演奏した)、「Whatever」はトンとリアムに歌う機会が与えられないまま時が経過していたし、「Don't look back in anger」をみんなで歌えば予定調和以上の奇跡が必ず起こって、その場は世界一幸せな連中の集まりになった。

だから、リアムが居なくても十分と言えば十分。ただ、たまたま会場に居たアラン・マッギーに捧げられた「Supersonic」を聴きながら、リアムの声を思い出してしまい、いつかもう一度リユニオンして欲しいなとも思いつつ、ノエルがバンドを抜けた気持ちが髪の毛一筋程だけ分かったような気がした。

とにかく、ノエルは15年以上もの間、ツアー中にずっとリアム・ギャラガーというものに晒され続けてきたのだ。リアム・ギャラガー体験をするのは、世界中でただ一人、ノエルだけだったのだろう。

ファンなんてまるで対岸の火事みたいなもので、リアムの圧倒的なカリスマ性はオアシスの曲を通すことによって人生を照らしてくれる光として受け取れる。でも、ノエルはリアムのアホなところも、否応なく人を巻き込んでしまうエネルギーも含めて向き合わないとならない。リアムはノエル以外に対しては、そこまでのエネルギーを向けているようには見えない。だから他のメンバーもノエル程の実害はなかったのかもと思ってしまうし、ノエル一人が一方的にバンドを抜けるのもちょっとだけ分かる気もする。

Beady Eye でのリアムはとても礼儀正しく、どこか遠慮しているようにさえ見えるし、今までに外から作り上げられたリアム・ギャラガー像を演じているだけのように感じる。それでもリアムの声は、世界をちょっとずつだけ良くする位の凄さが残っている。

ジョン・レノン「ポールと自分は違ったレベルでお互いを分かりあっていた」と言っていたけど、そういうものなんだろう。素を見せられたり、お互いが違う人間なんだけど分かり合える関係って良いですよね。レノン&マッカートニーに比べると、片方は歴史の一ページで、ノエルとリアムは漫画みたいな感じだけどさ。そういう相手と出会うというのは、人生における最良の奇跡の一つなんだと思います。

だって、ある日「I am the Warlus って言う曲を書いたんだけどさ~」とか言われたら「何、コイツ。ずっとヤクをやってるのは知ってたけど、ついに脳ミソまでイカれちまったのか。おお可哀想に」と思うはず。「良い曲じゃん」なんて言える人がそこらに転がってはいないでしょう。ノエルの才能を認めたのもリアムだし。普通、5歳年上の24歳になってうだつの上がらない兄貴が曲を披露したとろで「おい、兄貴ふざけてるのかよ。俺はバンドをやりたいだけなんだ・・・ごにょごにょ」とか言って流すでしょ。

結局、二人とも本気な場合だけ奇跡が起こる。恋愛みたいなもんです。

なので、フジロックで何かが起こるとしても2015年が来るまで彼らはそっとしておこうと思いました。フジロック来なかったりしてね(笑)まずは自分の人生を一生懸命生きることに力を注ぐぞ!!

<余談>
若い男の子が「AKA...What a life」を物凄く好きみたいで、熱狂してました。まだまだ、良い音楽を生み出す力がノエルにはあるし、どんだけアホなインタビューを残し続けてくれるのか皆待っている。ノエル・ギャラガーのインタビューやブログを読むのは最高の暇つぶしの一つだよ。

相変わらず、テレビ撮影時のバッキングヴォーカルは「かなり」好きじゃないみたい。