アナ・ウインター 小話 その32 アナ様のキャリアのレッスン

世の中にあふれる自己啓発本はあまり好きではないので、ピンポイントでの事例ばかり信じています。アナ・ウインターは自分のキャリアをどう見定めてVOGUEのトップにまで登りつめ、そこからさらに帝国を築いていったのか、これは誰も説明できていないと思います。

そこで、色々考えるのもいいけれど、メモとして拾ってきた記事をもう一回見直してみよ~。

8412190693_4c42f12cc7_h

Photo credit: Dilia Oviedo's Fashion Week via Visualhunt / CC BY-ND

Lesson1:チャンスを掴もう


アナはハイクラスで高等教育を受けている家族(兄や姉)とは別の道を進むことを決め、finishing school(いわゆる私立のお嬢様学校)を中退して雑誌出版の世界に自分のキャリアを追い求めた。Viva,、Penthouse,、SavvyそしてNew York Magazineという多くの権威ある雑誌を渡り歩いたのだから、彼女の決断は明らかに優れていたということだ。そしてついに1986年、アナは British Vogue のエディターとしてコン・デ・ナストに着陸することになる。アナは新しい女性像の為に雑誌の内容を変えるという、大胆なことをやってのけた。

「私はVogueという雑誌には、変化に素早く、鋭い視点を持ち、セクシーであって欲しいの。スーパーリッチであることだったり、有閑倶楽部みたいなことには興味はないの。Vogueを読む女性たちには、エナジーがあって、実行力のある女性でいて欲しい。自分で稼いだお金を持って、幅広い世界に興味を持っている、そんな女性であって欲しい。『新しい女性』というものが存在するのよ。『彼女』はビジネスにもお金にも興味がある。ショッピングする時間なんてないの。そして何でも求めるの、何?何で?何処で?どうやって?ってね」

Lesson2:自分の信じるものに大胆でいよう


1990年代の終わりに、アナは「スーパーモデル時代」の終焉を宣言した。そして女優たちをVogueの表紙に起用し始めたのだ。彼女にはファッションが変わっていくのが見えたし、Vogue はその変化を必要としていた。(ちなみにセレブ表紙の第一号はグウィネス・パルトロー

「みんな自分たちが望んでるものに、確信を持っている人たちに反応するのよ」

「大胆なアナ」について逸話を語ろう。あまりにも女性的に見え過ぎる為に、女性であることを売りにしているというイメージを持つことを恐れたヒラリー・クリントン国務長官が Vogue の表紙を飾ることを断った時にも、アナは自分の考えに尻込みすることはなかった。怒れるアナは、その年の Vogue 2月号のエディターズノートでコメントした

「地位や権力というような力を求める女性が、真剣にやっているんだと受け止められるには、男性的に見えなければならない。そんな現代女性の概念には、率直に言ってがっかりだわ。ここはアメリカでサウジアラビアじゃないのよ。それに2008年でもある。ブルーのパワースーツに包まれたマーガレット・サッチャーは、それは素晴らしく見えたかもしれない。でもそれは20年も前のこと。アメリカ人は『パワースーツ』のメンタリティからは脱しているのよ」

Lesson3:仕事のために新しい領域に踏み込むことに勇敢でいよう


みんなが「雑誌産業は死にかけている」と言ったが、アナは慌てふためくようなことはしなかった。慌てふためく代わりに、出来る限り最高と思えるWebサイトを立ち上げた。インターネットパーティ(2010年のことだ)に参加するようになるまでに、いくらかの時間を必要とはした。しかし、アナはそれを挽回したのだ。

「Webサイトは言わば印刷バージョンの雑誌と、その逆、印刷されてないバージョンの雑誌、とを埋め合わせてくれると思う。どちらとも、読む人たちに違った体験をさせてくれるの。雑誌は素晴らしいヴィジュアル体験をすることが出来る。雑誌上では、他のどこでも出会うことのないような写真を見て、記事を読めるの。そして一度手に入れたら、持ち運べるし、何か月も楽しめるもの。Webサイトについて言えば、雑誌とは違った体験になるわねーインスタントな情報に、インスタントなアクセス・・・もっとインスタントなの、でもそれは『Vogue』の目を通して編集されたものなのよ」



Lesson4:固定概念を打ち破ろう(無茶をすることではないよ)

「パワフルな(力を持った)女性たちについてはあまり固定概念というものはないわね。でも、ある場面においては女性に対しての固定概念、ステレオタイプがあるわ。男性の場合には同じような話を聞くことはほとんどないもの。パワフルである場合よりも、性的な固定概念ね」
メディアが描くアナのイメージとはこうである。とてもパワフルで力を持ち、その存在自体が巨大である。(影響力があるというような意味)しかしながら、もしそんな誇大広告のようなものを信じると言うなら、重要な仕事など出来やしないだろう。(つまり、重要な点を見落としてしまうだろう)


Lesson5:周囲が自分について言うことには気にかけないでいよう

アナはほとんどの女性が抱く不安を経験している。何せ、彼女が力を持った地位にいるという理由だけで、あらゆる誹謗中傷の類の言葉で呼ばれ続けてきたのだから。まあ認めるとしよう、彼女が温かみに溢れた人物かと言えばそうではないかもしれない。しかしありきたりだが、いつもこの問いかけが残る:アナの地位にいるのが『彼』だったら『彼』の評価は一体どうなるのだろうか?

元 Vogue スタッフのローレン・ワイズバーガー(彼女はアナ・ウインターのアシスタントだった)によるアナに対する一連の本(「プラダを着た悪魔」のこと)が出た後も、隅に引っ込んで身を潜める代わりに、アナは世間に姿を現した。映画プラダを着た悪魔のプレミアに出席することさえしたのだ。

Wintour の名を持つ彼女は "Nuclear Wintour" (核の冬)や "Wintour of Our Discontent"(われらが不満の冬:ジョン・スタインベックの小説Winter of Our Discontentにひっかけている) のようなニックネームを与えられた。キャリアの初期において、彼女はこれらのニックネームたちを「名誉の称号」として受け取った。

「私はコン・デ・ナストのヒットマンよ。雑誌に入りこんで変えていくのが好きなの」

ドキュメンタリー映画「The September Issue」(邦題:ファッションが教えてくれること)で彼女は何も隠そうとすらしなかった。アナは極めて細心な注意を払う監督者であり、それこそが我々が彼女に抱いていたイメージそのものだったのだ。

「わたしは自分のしていることをとても上手くこなせるの。確かに、凄く競争的ね。自分のやることにベストを尽くして表現する人たちが好きなのよ。そういう人たちって、わたしよりも完璧に仕事をするんじゃないかしら」(注:ちなみに Vogue のクリエイティブ・ディレクターであるグレイス・コディントンは自分のイメージする写真を撮影する為に、海の色を濃い青色に染めようとしたという、黒沢明みたいな逸話がある。それも本気で。彼女と仕事をするのも、喜びであり大変なことかもしれない)


Lesson6:ワーク・ハードを続けよう(ハード・ワークと言ってしまうとアナ・ウインターのスタイルとはかけ離れてしまうような気がして、ワーク・ハードにした)

アナはトップの地位にいるからと言って、ワーク・ハードしなくて良いということを意味しないということを証明している。Vogueは今年(2011年)、その象徴的とも言える September issue (9月号、Vogueの9月号は年に一度の特集号で、ファッションシーンのトレンドを決定づけるものである)で広告ページ単体での売上の上昇を記録した。昨年(2010年)の9月号よりも9%もページ数を増やした。

これは雑誌の中に、至難の業とも言える「584ページの広告」を入れたか、「ざっと小さな赤ん坊」を入れたのか、ということを意味する。(Vogue の9月号は電話帳並みの分厚さになり、そのほとんどが広告である。ページ数が増えるということは、広告が増えるという意味で、雑誌の価値と売上の上昇を意味している。

アナ・ウインターの本業は、ニューハウスに利益を届けることである。しかしどの広告も、広告とは思えない程に素晴らしいクオリティのものが掲載されている)引退の計画も、新しいWebサイトもアナの仕事には計画されてないように見える。彼女はケイト・ミドルトンを雑誌の表紙に起用しようと狂気している連中に辟易している。

・・・成るほど、一理あるかも