MUSIC: ジョージ・ハリスンが支払ったもの

ビートルズ、歴史上最も成功したバンド。エルヴィスよりもビッグになり、ノエル・ギャラガーの憧れにして、ポール・ウェラーの目を開かせ、カート・コバーンが「About the girl」を書く前に聴きこんでいたバンド。エリック・クラプトンをして「彼らの音楽のセンスは優れていたし、彼らのオーラには、自身家の僕ですら気遅れした」と言わしめたバンド。

そのドキュメンタリーの「The Beatles Anthology」でジョージ・ハリスンが言っていたこと。

ジョージ:「みんなは、金切り声やお金や沢山のものを僕らにくれた。でも、僕らは世界に全てをあげたんだからね。本当はあげられないようなものなのに」


この言葉の意味がずっと、ず~っと分からなかった。いや、あれだけの体験と成功が出来たなら幸せだろう、といつも思っていた。でも映画「ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」を観てやっと分かった。彼が捧げたものは、彼自身だったんだ。

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Photo credit: orionpozo via Visual hunt / CC BY

ジョン・レノンポール・マッカートニーは二人でビートルズの為に曲を作る、それこそ二人が出会った10代の頃から。そして二人にか理解し得ない関係を築く。

ジョン:「ポールと僕は他の人とは違ったレベルで分かりあっていた」


彼らの友情関係がどれ程のものだったかは想像を超えているので、今は置いておく。ビートルズリヴァプールを出て、ハンブルグで夜な夜な演奏を繰り返し、バンドとしての磨きをかけ、観客を魅了する方法を体得してゆく。かなり実地的で実践的な方法で。それがレノン&マッカートニーの曲にも反映されていく。ハンブルグでの修行時代を終え、リヴァプールに戻り、リヴァプールで一番のバンドになり、ブライアン・エプスタインの力を借りて、ちょっとした躓きを経ながらパーロフォン・レコードででジョージ・マーティンに出会いビートルズはレコードデビューを果たす。しかも、自分たちのオリジナルの曲で。この頃になるとバンドとしての完成度はもちろん、ソングライターとしてジョンとポールは一つ壁を越えてしまっている。

ジョージ:「スタジオに入る頃には、ジョンもポールも無駄な曲を書かなくなっていた」


そしてビートルズはあっという間に奇跡のような必然の成功を手にするが、ジョンとポールはお互いに良い曲を書くことを止めない。いつしか、ジョージも曲を作るようになる。最初は要領が掴めないから、曲は書けるものの「レノン&マッカートニー」チームに匹敵する曲はすぐには書けない。ジョージの曲が初めてビートルズのレコードに収録されたのは二枚目のアルバム「With The Beatles」の中の「Don't bother me」だった。味もあるし、ビートルズの曲だと一聴して分かるけれど「All My Loving」程には心が踊らされない。それでもジョージにとっては大きな一歩であることには違いないし、如何なる人にとっても偉大な一歩であることには違いない。

時を経るに従って、ジョンとポールはレノン&マッカートニーとしてではなく、ジョン・レノンポール・マッカートニーとして曲を書くようになる。そこにジョージもジョージ・ハリスンとして曲を書くようになる。1組のソングライターチームがいなくなり、3人のソングライターが出現することになる。長くやっていれば、それぞれの趣好は変わっていくからこれは自然の成り行きだと思う。それでも変わらないものがあり、それはビートルズがバンドとして最高であり続けたということだ。

例えば「And I Love Her」をポールが書いてきたときに、曲を聞いたジョージが出たしのリフを弾く、こんな感じだろ?ダ・ダ・ダーンってさ。そこには譜面も何もいらない。お互いが長年かけて築いてきた感覚が生み出すバンドとしてのマジックに他ならない。ジョン・レノンポール・マッカートニーの幸運の一つは、ソングライティングの才能だけでなく、自分たちの曲を世界最高のバンドであるビートルズとして表現出来たところにあるのだと思う。それはビートルズという名目ではなくて、ジョージやリンゴ、ジョージ・マーティンの力を借りて名曲として完成させて発表することが出来たという意味で。そして、それこそがジョージ・ハリスンが切望していたことなのではないのではと思う。

ビートルズの中でソングライターとして認められること。レノン&マッカートニーの庇護の元から抜き出て、ミュージシャンとして一人前の大人になることだ。

後期のビートルズにおいてはジョージは「Something」を始めとした名曲を書くようになっている。それでも、溢れるほどのジョンとポールの名曲に埋もれて、ジョージの曲をビートルズというバンドの力を借りて完成させて発表する機会は極端に少なかった。ソングライターとしての自我が生まれて、そんな自分に自尊心を持つようになったジョージは、その自我を最良の形(ビートルズというマジック)で充分に発表することが出来なかった。まるでやっとクラブ活動に自分の居場所を見つけた中学生が、受験勉強を強要されてそれに従うように。自尊心を築く機会をシステムに奪われてしまう、多くの人たちと同じだ。僕もそうでした。それはビートルズ解散後に3枚組という異例のアルバムを発表したことからも、想像がつく。

ビートルズを続けることはジョージにとっては、自分をどこか犠牲にすることでしかなくなってしまったのだろう。ジョンとポールのサポート役から脱皮しつつあった自分を彼はどう見ていたのだろうか?きっと自らの曲を世界最高のバンドとして完成させていく喜びと、ジョンとポールからの実際的かつ精神的な自立を彼は求めていたのだろう。ジョージ・ハリスンは一人前のソングライターとしての自尊心を得る機会を支払いながらビートルズは続けられていき、世界に宝物を遺してくれたのだと個人的には思う。本当は上手くミュージシャンとしての自尊心を得られていたなら、エリック・クラプトンを一回くらいはぶん殴ってたんじゃないかな、いや、彼らの友情に他人がとやかく言うもんじゃない。

ジョン・レノンはジョージがビートルズを抜けると言ったときに「よし、(エリック)クラプトン」を雇おうと言ったとか。こういう人と付き合っていくことに人生を捧げるのも凄いことですよね。

だから、彼は「本当はあげられないようなものを、世界に与えてきた」と言うだけの権利がある。金で、自分なりに満足する自尊心は買えないから。他に買えるものは沢山あるから、それで満足という人は、うん、それで幸せなので大物なのです。ただ、つまるところ何がしかの部分では、自分の力で大人に成長していって得たものこそが、大きな喜びと自信を与えてくれるんだろうな、と思います。もちろん、人の助けは借りつつやるのが良いのは当たり前。

結果的に、友情関係とちょっぴりの憎悪が混じりながらも、偉大な功績と希望を遺してくれた彼らに感謝の言葉もないくらいに感謝してしまう。それにしてもポール・マッカートニーレディ・ガガとかアデルのライブでちょいはしゃぎしているところをカメラに抜かれますよね。ポールもリンゴが一時ビートルズから抜けた時には自分の曲で自らドラムを叩くとか好き勝手やってます。彼こそ、大いに人生を謳歌する人として偉大だ。

どうも、ありがとう。