おめでとう テイラー・スウィフト 遂にVOGUEの表紙に

2011年4月号、US VOGUEの表紙はLady GaGaだった。遅れること10か月、2012年2月号、US VOGUEの表紙はテイラー・スウィフトが飾ることになった。ハイスクール・ガール ソングを歌っていた女の子が遂に、アナ・ウインターのお眼鏡にかなったのだろう。それも、あの「アデル」よりも先に。アメリカ女性のアイコンの一人として認められたのだ。(アデルはUK VOGUE の表紙にはなってるけどさ)

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Photo credit: mobu27 via Visual Hunt / CC BY-ND

これぞ、America's SweetHeart


ニューヨーク・ファッションウィークのロダルテのショーでアナ・ウインターとのツーショットを撮られた時から時間の問題だったのかもしれない。五年前は震える声で歌っていた女の子が今や、五万人を集めるライブを一年に渡ってやれる程に成長したのだから。他に毎日五万人を集めることの出来るアーティストが何組いるだろうか?U2?彼らなら可能だろう。Coldplay?彼らも可能だろう。ローリング・ストーンズ?もちろん可能だろう。ポール・マッカートニー?これも可能だろう。

つまりは、ロック・レジェンドを思い浮かべるしかない規模のライブを22歳の女の子が出来るのだ。彼女の最も凄い部分は、デビューしてから更に成長していっているという点に尽きる。五年前の映像を観る限りでは、ステージ上でのたたずまいは完璧に近くとも、その歌声は彼女の緊張をそのまま伝えていた。ところが、三年も経つ頃には、震えた歌声はいつしかみんなが一緒に歌える歌声になり、その姿は何万人のペンライトの光よりも輝くようになった。おそらくいくらかは身長すら伸びただろう。彼女よりも上手くギターを弾ける人間もいるし、彼女よりも上手く歌える人間もいるだろう。しかし、彼女ほどテイラー・スウィフト自身であれる人間は他にはいない。普通、人がそれを受け入れるのは、大きな失敗や挫折の後に気付くことが多い。もしくは年月を経て自らの人生を振り返った時に、自分が自分以外の何者でもないことにハタと思い当たる。

人生を前に進みながら、自分が自分でしかないことを受けとめられる人間は稀である。彼女はきっとそうなのだろう。

25歳を過ぎた時、彼女が「Teardrops on my guitar」を歌っているのかどうかは分からないし、歌うべきなのかも分からない。永遠にハイスクール・ガールのメンタリティを宿した歌を歌い続けることは不可能(おそらく)だし、それを望んでもいないだろう。この先に彼女は過去の自分と闘うのか、未来の自分へと自己を託し前で進むのか。彼女なら、後者を選択して前に進むことが可能だろう。つまるところ、人生で一番のライバルは自分以外の何者でもない。

セレブ文化をつくり、その頂点に君臨する、かのアナ・ウインターはうん十年前のインタビューでこう言っている。もちろん、その眼光は今の比ではない程に鋭い鷹の目のようである。


よく、これまでで最もお気に入りと言える号(VOGUE)はありますか?って色々な人たちから聞かれるわ。わたしにとってみれば、次の号こそが「最高」のものなのよ。いつも思っているわ、次に何が起こるのかしら?次にどんな新しいことが起こるのかしら?ってね。いつも将来に、いつも未来にあるのよ。
 

人生は時に、と言うよりも、決して確定した未来が用意されることはない。未来は不確定で不確定なことに未来の価値がある。それを不安と取って心配し続けるか、期待を寄せて楽しむことにするのかで、行先は全く変わっていくのだろう。

お人形のようなテイラー・スウィフトの隣で、生足とノースリーブで笑うアナ・ウインターを見ると、この人には怖いもんなんかないんじゃないかと思ってしまう。少なくとも、若さで誤魔化しの利く要素がすべて取り払われた後でも、アナ・ウインターには有り余る程の魅力があり、それは若さや金をどれだけ使っても決して手に入れることの出来ない類の魅力である。十年後もテイラー・スウィフトはVOGUEの表紙を飾るに足り得る存在でいるだろうか?希望を込めて言えば、そうであって欲しい。新しい女性像で、新しい価値観を作って、人生の素晴らしさを伝えてくれる存在になってくれていることを祈っている。彼女なら、きっとそれが出来る。もしくは、もっと他のだれかが彗星のように現れてしまうことにも期待を寄せてしまう。いつだって、世界はそれを待っているのだから。