そろそろテイラー・スウィフト来日するね。PC壊れて沈黙してしまったけど、もう一度続きを書いていこう。ピナクル賞ってのが凄い賞なことを初めて知った。華々しい賞よりも、こういった功労賞的なものをきちんと評価していくことこそ重要だと思う。
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しかしテイラーとナッシュビルとの結びつきは未だに強く、テイラーの音楽とテイラー・スウィフト ブランドと呼ばれうるものに対して重要なものである。
ラジオはカントリーミュージックにおいて大きな力をもっている。テイラーは古き良き大衆向けのカントリーラジオが好きなままだ。他愛のないおしゃべりと、局の重役、ディレクター、ディスクジョッキーがあたたかく迎え入れてくれる。
「カントリーラジオはわたしが会った他のグループの人たちよりも家族のようなものなのよ」とテイラーは言った。「彼らはただこう言うの『ハイ、おれたち何年も知り合いだよね。いつもそばにいたよね、おれたちもいた。そういうことなんだよ』」
テイラーはカントリーミュージックの体制側へとよりそうような動きをみせた。
この10月に、テイラーはカントリー・ミュージック殿堂博物館でのテイラー・スウィフト・エデュケーション・センターのテープカットへと出席をした。彼女は個人的に400万ドルの寄付をしたのだ。「カントリーミュージックコミュニティの一部になれるのは素敵よ」とテイラーは話した。
これらの感情は控えめに言っても、カントリーミュージックへ報いるような感情だ。テイラーはナッシュビルのスウィートハートなのだ。賞賛と栄誉を惜しまずにはいられないのだ。
この秋、ナッシュビルソングライター協会はテイラーを6人目の年間ソングライター賞『Songwriter/Artist of the Year』へと指名した。
テイラーは21のCMAアワードにもノミネートされており、彼女は9つの賞を獲得した。CMAのセレモニーも半ばとなったころ、カントリーミュージックにおける8人のスターの一団がステージに現れた。ティム・マックグロウとその妻フェイス・ヒル、ジョージ・ストレイト、ブラッド・ペイズリー、キース・アーバン、けばけばしいトリオのラスカル・フラッツだ。
彼らはテイラーにピナクル賞を贈呈するためにステージに登壇した。ピナクル賞はかつてガース・ブルックルスに一度だけ贈呈された賞で、ブルックルスが受賞したとき彼は43歳だった。テイラーは来月にやっと24歳になるところなのだ。
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テイラーとナッシュビルの蜜月は双方にとって良い影響をもたらす。
彼女はカントリーミュージック界において初めての真のグローバルスターであり、カントリーミュージック大使としての影響力はアメリカ国内のフォロワーに留まらず、アイルランド、ブラジル、台湾にまで及ぶのだ。
テイラーはカントリーというジャンルに現代性、若々しさ、コスモポリタニズムというまったく逆にあった価値観を与えた。カントリーミュージック界はポップミュージックにご執心するようなことはないだろう、しかしポップスターを自分たちが擁していることはやぶさかではない。テイラーのゆくところ何処でも喜んでついてゆくのだ。「We Are Never Ever Getting Back Together」のような曲をホット・カントリー・ソングチャートのNO.1へと送りこみもするのだ。ナッシュビルは「I Knew You Were Trouble」に直面したときにもほとんど尻込みしなかった。確かにこの曲はカントリーラジオでかかる唯一のダブステップの曲なのだ。
テイラーにとってはナッシュビルはあらゆるものをお返ししてくれるところだ。
ナッシュビルは、テイラーがポップカルチャーの世界をより幅広く征服していくのにあたって完璧な足掛かりであり、理想的なベース基地であったことが分かる。
カントリーミュージックのオーディエンスたちは音楽界において最も忠誠心があり信頼に値する。この10年の間、レコード業界が業績不振に陥っている中でカントリーミュージックの売り上げは他のジャンルと比べて特に明るいものだった。テイラーにその音楽的衝動を調整しているのかを訊けば、真実と処世術に長けた決まり文句がかえってくるだろう。「わたしはカントリーミュージックもポップミュージックも好き。どちらも好きなのよ」とテイラーは言った。
しかしテイラーにとってカントリーミュージックとの関係性は単にキャリアのためだけではない。