MOVIE: Netflixのジェフリー・エプスタインの映画観た

f:id:atsushka:20201230231006j:plain
Photo on Visualhunt.com

この映画はなかなかに深い暗部を描いていて、興味本意でうっかり観るとずしりとくるものがある。

ここに登場するジェフリー・エプスタインは、違法と思われる手段を用いて莫大な財産を築き、築きあげた財産をもとに有力者たちに資金援助をすることでさらに財産を築いていった。数学の教師をしていたのだが、つてを得てベアスターンズで仕事をし、ヘッジファンドを設立後にポンジスキーム(詐欺みたいなもんですね)で財をなしたらしい。MITやハーバードに寄付もしてより人脈を広げていった。

www.youtube.com

さらに、ここからがこの映画の肝心なところなにだが、エプスタインは少女買春をセレブリティや地位のある連中に提供し秘密とともに金も握るようになった。広げた人脈をつかったのだ。もともと自分もその気があったため少女たちを集めるすべを築きあげていたのだ。しかも、その少女たちを勧誘していたのが元パートナーのギーレンという女性というところが複雑な気持ちになる。

こんなことが商売になるのがすごい、日本でいうところの風俗店ともまるでちがう。そもそも少女たちは成人していないし、そういったことを意図して選んではいない。気づいたら、そこに足を踏み入れているのだ。

一度は女性の告発により事態が明るみに出て、エプスタインは有罪判決を受けるも刑務所から仕事に行くような待遇で刑に服したらしい。そんなことあるのか、なのだけれど、後にトランプ政権で労働長官になるアレクサンダー・アコスタとの司法取引によるものとのことで、これまたすごい。それから何年か後にやっとFBIが動いてパームビーチのエプスタイン邸宅から証拠を押収し逮捕された。

ここでエプスタインの罪に大きく触れたいわけではない。

自分もきれいに生きているつもりもないが、ある種支配層というか、力を持つ層には常識外れたところと、それを正当化する論理構造と精神構造があるようにも思う。学校では教えない類のもので、これには恐れ入る。人を搾取することに全く抵抗がないし、お金を設けること、人並み以上のとんでもない額のお金を設けることや権力を持つことに躊躇がない。努力すれば良い、というのもその傾向だろう。そういう精神構造だから金銭的、社会的に成功しているのだろう。

お金の力というのは偉大で、お金で買えないものもあるが、ある種の限度を越えたお金というのは色々なものを買うことができる。イメージやある種の自由なども買うことができる。お金持ちはお金を持つことの良さを大きくは宣伝しないように思う。実際はお金はあった方が良く、お金があれば自分たちに有利な状況を作り出せる。それでも、ある種の正しさの反対側にお金を置いて、人々をお金から遠ざけようとする動きもあるけれど、お金はあった方がいいに決まっている。

つまるところは、お金を儲けたり、権力を得たり、社会的に出世するにはある程度そうしてよい理屈を自分の中に持ち合わせなければならないということなのだ。自分が素晴らしい仕事をしたからお金を得たり、地位が与えられることなんて、ほとんどいや全くといって言いほどない。基本的には勝ち取る以外に方法はない。ある種のルールにのっる場合もあれば、それを無視してルールをつくって支配する場合もある。そこには学校での評価方法とは全くちがうルールがあり、それは誰も教えてくれない。この臭いは嗅ぎ取って自分でものにしてゆくしかないのだ。だから、この手のエプスタインのような話は途絶えることもないのだと思う。

同時に限度を超えたお金や権力を人はあまりコントロールできないのではないかとも思う。社会として持っていた富や機能の大部分を1人の人間が手にしたとき、そこで逆に社会性が失われてしまう。社会を気にする必要がなくなるからだ。皆で生き残るための社会の一員であればこそ守るべきルールと規範も、社会そのものをコントロールできるようになったとき、人は守らないのだと思う。それほど強くないからね。だからどうしてもこいうった人の闇の部分というか胸糞わるくなる話は絶えることなく存在し、逆に存在せざるを得ない中で、どうやって進んでいくのか、ということと向き合わなければならないのだろう。息抜きしながらだけれどね。

エプスタインの最期は映画でもネット記事でも読めるので自分で確かめてみてください。