DIARY:2021年5月1日

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昨日、ゴルフの練習に行ったので今日は身体がつかれていた。あとは雨が降ったので、そのせいで身体が反応していたのだろう。気温と気圧の変化に備えて事前に身体をだるくさせてエネルギーを温存させていた気がする。

街はほどほどに空いていた。

マルクス・ガブリエルの本を読んだりして、ちょっといつもとちがうこともして整体に行った。それで身体はだいぶ楽になった。

自転車も買った。車もいいけれど、常日頃で自転車に乗っていないと体力が落ちてしまうと思う。基本的なところで身体を使っておいた方が良さそうに思う。3キロくらい自転車に乗るとつかれるくらいになってしまっていて、これはやばいと思う。ということで自転車に乗っていく。

最近はローリング・ストーンズを聴いている。あのルーズさというか、完璧でない、ラフなところに生命力を感じる。みんなと同じような格好をせねばならず、同じような顔して歩かないといけない環境でストーンズのラフさを感じるとものすごく楽になる。もちろん彼らは最高のライブをやるために摂生もしているしダラけているわけではないけれど、ラフさがあるよね。

エルビスコステロか誰かが、ストーンズビートルズの差をこんな感じで言っていた。「ビートルズは洗練されていて完璧だった。とうてい真似できないとも思ったよ。でもストーンズはちがった。ラフさがあって、これならできるかもって思えたんだ」。みたいな感じ。

完璧なのは素晴らしいのだけれど、ときどき息が詰まってしまう。少しくらいルーズさがあった方が自分なりの感性が入り込む余地があって伸び伸びとできたりもする。金をかけた東京のレストランの料理よりもそこらの地方のそこそこの評判のレストランの方が元気になる料理を出したりする。最新のエンターテイメントではないからストーンズが産まれる余地があったのかもしれないけれど、Netflixは映画はつくれてもバンドはつくれないかもね。動画の再生回数もいいのだけれど、別の手触りを発明していくことが重要な気もする。色のついた服を着たいなぁと思うようになたったりもするよ、ストーンズを感じると。

もっとくずして生きていく、というスタンスの問題なのかもしれないけれど、まあニュースキャスターのように毎回正解の反応を求められないように生きていける余地は残したいと思ったってのが今日だった。