BOOK: マリア・シャラポワの「マリア・シャラポワ自伝」読んだ

はるか昔に観たマリア・シャラポワは勝つことしか考えていなかった。そういうことが出来る人は本当に限られている。

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Photo credit: Marianne Bevis on Visual Hunt / CC BY-ND


好きなことをやるとか、やりたいことをやる、とか中途半端なことを言う人は絶対にたどり着けない場所がある。なぜなら、そこにたどり着くにはなにがしかの意味合いで勝たねばならないとからだ。形式はどんなものにせよ、勝たねばならない。マリアシャラポワは最初からその地点にいた、彼女にとって勝とうとすること、勝つことは息をするように自然なことだったのだ。

そんな彼女の自伝が出た。

自伝の中ではシャラポワの勝利の秘訣が語られる訳ではない。彼女は子供の頃から勝ちたかったのだ。勝つことを目指す、そこに疑いはないのだ。そのパワーで一気に書ききっている。こうすれば上手くいくのではないか?などと考えるとき、アホな人は効率だったり秘訣のようなものを得ようとする。実際には、そんなものない。ただ、やるだけだ。何があろうとやるだけだ。負けるかもしれないし、勝つかもしれない、ただやることは勝とうとして試合をして勝つことだけだ。それ以外にテニスの大会で優勝する手段はない。

 

これまでの印象でシャラポワは自信があって、サラブレッドで、くらいに思っていたけど、とんでもなかった。根性があって、推進力があって、逆風の中でも過度なセンチメンタリズムに陥ることなく進める選手だった。

 

好きな描写がある。シャラポワアメリカのテニススクールに入ったときの他の下手クソな生徒たちを、甘やかされたガキ、と言い放っているところ。彼女たちの親が支払う授業料でシャラポワたちのような才能とメンタルを兼ね備えた選手が培養される土壌ができあがるのだ。

 

何かをやっているフリをすることと、実際にやっていることには埋められない差が存在することを良く表現している。

 

シャラポワはテニスの技術があるだけでなく、メンタル、そして頭の良さを持っていることが分かる。

 

この自伝も思っている以上にテンポ良く、上手く書けている。自伝の中でも出来がいい方なのではないかと思う。一冊を読みきらせる力がある。推測になるけど、こういう文章を書くことが出来るということは、子供の頃にそれなりの量の読者をしたのだろう。

 

これ読むとシャラポワはまったく学校で勉強なんかしてはいないんだよ。テニスばっかり。それでも知性を身につけていて、そうやって世の中と周囲の状況への理解力というのも成功には大切なのだと分かる。