MUSIC: Oasis 映画「Supersonic」を 観た

いつからOasisを聴かなくなったのか。実のところ、Oasisの曲はそこかしこに流れている。街で、ラジオで、Youtubeであらゆるところで耳にする。でも、誰もOasisを聴いていないように感じる。

 

そして久しぶりにOasisを聴いた。ドキュメンタリー映画「Supersonic」の中で。

 

f:id:atsushka:20161230203250j:plain
Photo credit: nico7martin via Visualhunt / CC BY

 

この映画はOasisがバンドを結成~ネブワースパークまでの軌跡をドキュメンタリーにしてまとめたものだ。だから、基本的に最初の2枚のアルバムの曲しか出てこない。そして、この最初の2枚のアルバムを出してネブワーズへたどりつくまでがOasisだったのだ、といかにも分かったように言ってみる。

 

ちょっとだけネタバレすると、オープニングで「コロンビア」が爆音でかかる。この音圧を受けたとき、Oasisのあの感覚がよみがえってくる。身体中の血がいきおいよく流れてわけの分からないエネルギーを感じる瞬間がやってくる。Oasisってこれだったんだよな、と身にしみる。

 

すっかりYoutubeipodに慣れてしまい、Oasisが何だったのかを忘れてしまっていた。ライブや映画館の爆音で聴くOasisこそOasisなんだよ。Youtubeに閉じ込められているものは別物なんだ。

 

爆音でコロンビアもLive ForeverもDont look in angerもかかる。だからあらためてOasisの曲の威力を感じることが出来る。あの音圧とともに感じてみて欲しい、DVDなんかで観るなよ、と言いたい。ポスターもDVDジャケットもどうせ格好良くないしね。

 

映画の中では、今のリアムとノエルは映像としては登場しないでインタービュー音声のみで登場する。アムステルダムでの強制送還事件、ノエルのバンド加入の裏側、ノエル・ギャラガー マーケティングの秘訣(とにかく騒ぎが起こることをぶちまける)、などを率直に語ってくれる。驚くべきなのは、ノエル、リアムともお互いが何をどう答えるのか分かっているように受け答えするところだ。お互いを想い合ってほろっとさせることも言うのだけれど、そこには全く作為的なものを感じない。

 

ドラッグに関しても素直に話題が出てくる。テイラー・スウィフトマリファナを吸っていたら、それだけでも叩かれそうだが、リアムはドラッグでふらふらになった姿で歌っている姿を映画で公開してしまう。

 

Oasisはインターネットが生まれる前のバンドだし、前時代的だし、さらに言えばまったくもってデジタル化にはついていけなかった。ライブに行くか、ブートレグCDを探しまくった時代のことなんだ。インスタントに消費できなくて、Youtube上にあるビデオをかき集めても伝わりきらないものがそこにはあった。システムや理屈をすべて吹き飛ばす何かが。

 

ネブワース後のOasisは本当にシステマチックになってしまいステージ上でもどこか心ここにあらずだ。それでも圧倒的だけれど、どこか向こう側の人になってしまった。彼らの得体の知れなさもなくなり、またメンバーも入れ替わり、曲をライブで演奏するパーツを揃えることで手一杯になってしまった。それによって神秘性は失われて、彼らはもう宇宙人ではなく、みんなのOasisになってしまった。だから、Coldpalyにもあっさり抜かれた。それでよかったのだと思う。

 

この映画でもっともよいところは、エンドクレジットでもOasisの曲が流れる。それをやっぱり爆音で聴いているとエンドクレジットなんてあっという間に終わってしまう。曲の持つ威力のすさまじさを感じる。

 

 ノエル・ギャラガーが「レディオヘッドなんてヘッドフォンで聴く音楽だろ?」と言っていたけれど、Oasisはヘッドフォンで聴いてはいけない。

 

ではいったいどこで聴けばいいんだ?どうにかして爆音で聴け!としか言いようがない。まずは映画を観てみてください。