MUSIC: 去り際はノエル・ギャラガーのように

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Photo credit: pacomexico on Visualhunt.com / CC BY

人生の節目の去り際はこうでありたい、なんてものがある。いつも頭に浮かぶのは2009年、突然にノエルギャラガーがOasisを脱退(事実上、それはOasisの終わりを意味していた)したときのメッセージだったりする。原文はこんな感じ。

 

親愛なるOasisファンのみんな、このことを伝えるのは心がおもく悲しい。

おれは先週の金曜8月28日にマンチェスターの人気ロックンロールグループであるOasisを辞めざるを得なくなった。

細かいことは重要ではないし、理由なんていくらでもある。それでもきみたちには知る権利があると思う。おれや家族、友だち、仲間に対しての言葉や実際の暴力による脅しが受け入れがたいレベルまできたんだ。マネージメントやバンドメイトの理解とサポートが不足していたことも言わなければならない。

まず最初にパリのキッズたちに謝りたい。金を払いこの日をオレたちのために使ったというのに、「また」がっかりさせてしまった。謝ることなんかでは足りないことは分かっている、でもこれがおれにできる最大のことなんだ。

V Festivalを楽しみにしていてくれたみんなにも同じおもいをさせてしまった。これにも、おれは謝ることしかできない。なぜだろうか、おれは全く問題はなかった。最高のギグをやる準備もできていたんだ。グループのみんながそうではなかったのかもしれない。

最後に世界中すべてのOasisファンにありがとうと言いたい。この18年は本当に本当に素晴らしいものだった。この言葉を使うことは嫌いだけれど、一度だけ使うとしたら今だと思うよ、夢が叶ったんだ。この輝かしい想い出とともにおれは生きてゆくよ。

さて、おれには愛すべき家族とフットボールチームがあるのでこの辺にしておくよ。

またどこかで会おう、楽しかったよ。

どうもありがとう。

さようなら。

NG

 

パリのロック・アン・セーヌ・フェスティバルのステージに上がる直前に解散していて、ノエルとリアムが楽屋で大喧嘩したとか、色々真相が飛び交っているけれどこればっかりは本人たちにしか分からない。だから、本当の理由なんてもんがあるのかもしれないし、ないのかもしれない。ただ、不満はあったのだろう。

たぶん、リアムやOasisというもの自体にも言いたいことなんかあったろうに、この書き方はなかなか絶妙な距離感なのが最高だ。Oasisマンチェスターの人気ロックンロールグループという言い方で距離をつくっているから、またノエルが騒いでいるのかとも思わなくもない。お決まりのOasisやっちまったに対しても謝罪をしている。それでも最後の段になって、いつも悪態をつくノエルが感謝を述べている時点でこれが一時的なものではなく、本当にOasisを脱退するのだということが分かってしまう。ちょっとホロっとさせるなんてノエルがしたことはなかったのだ、これで最後だから最後の最後だから出してしまったのだ。

ソロになったノエルはコンサートで最後の曲を演奏する前に言う「See you somewhere down the road」と。「またどこかで会おう」のこの距離感がよい。これで最後かもしれないし、また会えるかもしれない、どこかで。

人生はすべからくこんな感じでありたいものだと思う。