アナ・ウインター 小話 その4 アナ様こきおろされる

デザイナーであるロベルト・カヴァリに「アメリカファッションの悲劇」と言われたアナ・ウインター。彼女と VOGUE の状況を評して、彼はファッション・マフィアと言った。確かに(笑)

自分の気に入らないものは雑誌に載せないとか、マフィアっぽい。でも、個人的にはそこが好きですし、デザイナーが自分の感覚を持って反発してくれるのも良いなと思います。マフィアなら抗争があるし、代替わりがあるし、新しい VOGUE や新しいデザイナーや新しいファッションが生まれる可能性があるので。

それに、誰にでも愛想の良いアナ・ウインターなんて、見るに堪えないです。アナ様は、アナ様のお抱えの軍隊を引き連れて、ファッション業界を闊歩するのが彼女の仕事なのではないでしょうか。というのも、誰かが「これが良い」と言わなければ何も生まれないからです(本当に良いかどうかは別です)。自分の感性もぶつけようがない。

そして、デザイナーとファッションエディターでは人種が違うでしょう。絶対に分かりあえない、マリアナ海溝よりも深い溝、もしくはスコット・フィッツジェラルド曰くの、プロとアマチュアの薄くとも大きく立ちはだかる壁、がそこにはあると思いますし、それで良いと思います。

たぶんだけれど、アメリカではマーケティングという名目のブランドを広める方法が社会のシステムの中に強くあって、フランスやイタリアのデザイナーがやりたいことに比較すると、売ることばかりを気にかけているように見えるのかなぁとも思います。あまりにも広告や流通、小売のシステムが確立され過ぎていて、服を買う人たちに選ぶ自由が見えないところで奪われてしまっているように見えるのでしょう。ヨーロッパのように街に職人が居て、アトリエで家族が働いていて、そこで脈々と受け継がれてきたような伝統が生活の一部に染み込んでいる人たちからみると、何か違うな?と思うのかもしれません。(イタリアとかでは副業で色々つくっている人が多いです、それがある意味の一つの文化であり経済圏をつくっているのです。たんす貯金みたいなもん?)

ファッションウィークのように、ちょっとしたお祭り騒ぎの形式をとった文化としてではなく、もっと血の深い部分に組み込まれている遺伝子に近いものが言わせているのかもしれません。ゲルマン民族や北欧の男性と比べるとイタリアやフランスの男性というのは体格的にちょっと劣るらしく、その為に昔からありとあらゆる手を使って女性を喜ばせることを続けていて、ファッションもその一つとして文化となり根付いてきました。なので、ファッションはビジネスを越えた日常の営みに深く関わる要素を持っているのでしょう。それと、新大陸を求めて故郷を離れてしまう人々が生み出したビジネス理論に裏打ちされた戦略は、相性は良くないのでは?

一方のアナ・ウインターは社会的、金銭的、精神的にも自立している(と思われる、もしくはそう自覚している)女性向けに VOGUE をつくっているので、カヴァリ曰く「アナ・ウインターは全ての女性に彼女のようになって、彼女のような着こなしをして欲しいと望んでいる」というのもごもっとも。

なので、カヴァリに言わせれば、アナ・ウインターのやり方は「アメリカファッションの悲劇」なのではないでしょうか。

そんなカヴァリのアメリカで唯一のお気に入りのデザイナーはマーク・ジェイコブスだそうです。ただ、マーク・ジェイコブスブランドはお気に入りだけれど、ルイ・ヴィトンでの彼の仕事ぶりには関心していないようです。個人的にはマーク・ジェイコブスルイ・ヴィトンが好きです。


カヴァリは大きなスピーカーから垂れ流されるが如く、色々言ってしまう人らしくて、かつてはシャネルを「おばあちゃんたちが着る服」とも言ったようですし、「デザイン学校を出た若い連中は事なかれ過ぎる。おそらく、教授連中がそうなのだからだろうし、商業的なデザインに追従する教授ばかり揃えているからだろう。人と違ったことに挑戦して、芸術的なファッションスタイルというものを創り出すことに挑戦するべきだ。そして状況を一変させて、変化を促し、実際に着ることに出来うる可能性と耐久性を考慮に入れて修正がなされていくんだ」とも言います。

アナ・ウインターは東京に来日した際に「わたしは出来る限り多くのデザイナーに会う為に東京に来たのよ」と言いましたし、実際に多くの日本のデザイナーに会ったようです。

つまるところ、彼女も新しい才能を探しているのでしょう。自分の誕生日を放っておいて来日する位なので、それとも、もうお年を召されない所まできただけかもしれないけれど。二人とも志は同じなのでしょう。言いたいことは言うところも含めて。

ファッション業界においては、とにかく新しい才能を欲しているのでしょう。優等生的に褒められるものではなく、人の感性を刺激してくれる何かを持っているデザイナーを。それがどういうものか、分かっていれば話は早いですが、分からないので一生懸命自分の感性を頼りに試行錯誤しているのでしょう。カヴァリが評した訳ではありませんが、マーク・ジェイコブスはこう言われたことがありました。

People feel strongly that he knows something. (みんな、こいつはタダものじゃないと感じる)

そりゃあ規則を破って15歳の女の子をファッションショーのモデルに起用したり、イギリスで掲載禁止になるような香水の広告をつくっちゃう位だから、タダものじゃないよなとは思いますが。デザイナーは会社で働けないような人がやるのが良いと思います。

いずれにせよ、仲良くやっていては辿り着けない場所にこそ、「新しい感性」があるのでしょう。タダものじゃないヤツが登場するのが楽しみです。それまでは喧嘩でも何でもしてて下さい。