アナ・ウインター 小話 その18 アナ様との面接に着ていく服 Part 1/3

いい大人が欠点を直そうとかしなくていいと思う。大人ですから、見苦しい(笑)どうせ見苦しくなるならこれくらいっていう記事があったよ。


What Thirteen People Wore to Their Interview With Anna Wintour

アナ・ウインターと会うことよりも怖いもの、それはアナとの就職面接に他ならない。アナのお気に入りのスタッフにさえ、この悪名髙きVogue編集長はその服装に対して品定めをすることで知られている。あなたが単にドレスアップするだけでなく(結局のところ、これは面接なのだが)、アナに自分がVogueにふさわしいことを伝える服装を選ばなければならないとしたらどうだろう?

ここに13人の素晴らしき人々がいる。プラダに身をつつむもの、イケてないハンドバッグをデスクの下に隠すもの、苦闘ぶりをみてみよう。


1. 5,000ドル以上費やした女性


コンデナストは連絡を寄越した次の日に面接を設定して、わたしを驚かせた。ファッション業界での経験もなく、わたしは J.Crew 以上に素敵な服などもっていなかった。結局、仕事が終わったあとにわたしはバーニーズへ行った。なぜなら、バーニーズだけが夜の8時まで空いている唯一のお店で、わたしはそこで服装に片を付けることが出来た。


それから9時近くまで空いているネイルサロンを見つけ、次の日の朝までヒューズがとんだように眠った。

わたしが買ったのは、シルクの Proenza Schouler のtank dress、プラダのヒール、セリーヌのベルトだ。まるで「Supermarket Sweep」みたいで、わたしは2,000ドルも費やしたのだ。わたしは新しいバッグを持っていなかったが、受付の人が(今では安っぽくなった)Marc by Marc Jacobs のバッグを持ってくれた。それから4つの面接を受け、バッグを戻してくれた。

わたしはオシャレにのめり込み、お金がのめり込み過ぎるのを留めてくれた。

プラダのSpring コレクションからシフトドレスを買い、ブルーのパテントシューズを買い、すべて素晴らしかった。ドレスは仕立てが必要だったが、一週間かかる予定だった。わたしは2、3日後に必要だったので、特別リストに名前を入れて早めてもらった。ドレスはセール品だったが、他のすべての支払いよりも高かった。

おそらく3,500ドルはしたのではないかと思う。


合格

2. 涙を見せないように言われた女性
 

わたしは服装にお金をかけなかった。わたしには苦労してみつけたヴィンテージものがあったからだ。リネンのアプリコットドレスにゴールドのボタン、ゴールドのピープトウヒールを着ていった。友達から服装に似合う、PRADAクラッチバッグを拝借し、友人がデザイナーをしている David Yurman のジュエリーを身につけていった。面接の前にマネージングディレクターが仕事で涙を見せたことがあるかと訪ねてきた。彼もアナもバスルームやクローゼットに行って、女の子のすすり泣きを聞いたり、1日中「小さなこと」で泣くようなことは「嫌い」なのだ。


アナがわたしのポートフォリオを開けて、わたしの住所の欄をみた。彼女は「ああ、そうなの。あなたは”ぶるっく”リンに住んでいるのね。ふうん」と言った。そして興味を失ったようだった。わたしの両親の職業は何かということを尋ねてきたので、わたしは両親とも教師をしていたことを告げると、アナには特に印象に残らなかったようだった。


残念 

3. 出戻りをした女性ー3回も
 

思い返すと、1989年だったと思う。Betsey Johnson のスカートに Donna Karan のタイツ、そしてカウボーイブーツ。アナは身震いしていたのよ。2度目に雇われたとき、わたしはいくらか垢ぬけていた。シンプルなCalvin Klein sheathを着ていた。そして、3度目には友人のパーソナルショッパーにバーグドルフ・グッドマンで一式そろえてもらった。


合格(3度も!) 

4.ドクター・マーティンを着た女性
 

アナとの面接の日、その日にアナと合うとは知らなかった。もし知っていたとしても、別の服を選ぶとは思えない。わたしはVogueというものに畏怖をいだくほど何も知らなかったから。(特集アシスタントの仕事で、ファッションの仕事ではなかった)。大学時代のお気に入りの服装をしていっただけだった。アナスイのダークグレイのプリーツスカート、黒のカーディガンに黒のタイツにドクター・マーティン。1993年だったのよ、言うことある?


合格