もうリアムはBeady Eyeやらなくていいよ

ノエル・ギャラガーがまたQアワード取りましたね。また文句言っていたようだけど、それってノエルの宣伝のやり方だからね。頭いいし、好きだよ。

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Photo credit: letobladioblada via Visual Hunt / CC BY

最近ふとしたことでBeady Eyeの「Beat goes on」を聴いた。リアムのヴォーカルが炸裂していたけれど、なんかとても普通だった。普通にいいって感じ。そしてとても窮屈。
 
どいうことかと言うと、リアム・ギャラガーという人間のスケールと曲のスケールが一致していない感覚がある。どうしてもリアムの存在の方が曲のスケールよりも大きくて、無理やり箱にでも閉じ込められているように感じる。

ノエルの書く曲の歌詞って意味分からんし、とくに意味なかったりする。でも曲の持っているスケール感は果てしなく、そこにリアムというありったけの存在を詰めるとOasisが出来上がる。曲とヴォーカルのスケールが一致している気持ち良さがぼくらの心を開いてくれるんだよね。それ以外は拒否反応を起こしてしまうよ。

だから、リアムはもう無理やりBeady Eyeやらなくていいよ。Oasis以外に居場所ないくらいスケールがでかいのがリアムなんだから。

なんてことを考えていたので、日常でふつうにしてるしかないなと思ったもんだね。